ヨガの思想で考える“ワーキングホリデー・留学”

ツイッターでワーホリや留学の目的、それの達成や進捗、あきらめや後悔などについてをここ最近いくつも見かけて、わたしが思うことをツイッターで書こうかなと思っていたのですが、少し時間があったのでブログにしました。

 

わたしは2018年4月から約6ヶ月の就学、その間ローカルでのバイトも経験。その後約1ヶ月旅行や職探し、テキストのまとめなどをしながら友達と遊ぶ。現在の就業先では約1ヶ月半が経過。気付けばもうすぐ年の瀬。渡航から8ヶ月が経とうとしています。

ワーホリに来た理由の記事をまだ書きかけのまま投稿していないのですが、わたしの理由はざっくり言って「後悔」です。これは、過去の自分がしてきたこと、または、出来なかったことの後悔。それを昇華するために再び海外に来ています。他人から見たら、大した理由じゃないかもしれません。

 

これじゃワーホリに来た意味ない、と思う時。多分誰かと比べてますよね。特定の誰かじゃなくて、もしかしたらオンラインで見かけたちょっとした文書かもしれません。わたしもつい、それをしちゃいます。特にその人にとって「いい知らせ」の場合。やりたかった仕事が見つかった、外国人の恋人ができた、新しい友達と出会った、移ったフラットが最高…挙げればキリがないです。でもそれは全部、その人のことです。例えば、わたしは彼の代わりにバリスタの仕事がしたかった?NO。お酒とクラブが大好きな若い恋人がほしかった?NO。本当に羨んでいるのは、そのもの自体ではなく、その人が何か新しく一歩踏み出したり、新しい何かを得たことだと思うのです。

 

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NZに来る前、毎週ヨガに通っていました。そのヨガはアーサナ(ポーズ)はもちろんですが、呼吸法や瞑想を大切にしていて、レッスンの後も先生やほかの受講者さんとヨガやそれにまつわることについてお話しするのが楽しみでした。その中で、よくお話に出ていたことは、「他人ではなく、過去の自分と比べる」ということ。特にアーサナは、他の方を見るとつい比べてしまいます。あの人は10秒もあのポーズを保ってる!とか、何でわたしはあのポーズができないの?とか。ヨガはスポーツではないので、競争する必要はないのです。それなのについ、他人と比べてしまいがちです。わたしはそういう時、なるべく目を瞑ってアーサナをするようにしていました。自分に集中するのです。そうしたら、レッスンの始まりには苦しかったアーサナが、レッスンの終わりには少し楽にできている自分に気付くのです。

 

ワーホリや留学でも、同じだと思います。他人に刺激を受けるのはいいことですが、まずは目を閉じて。自分にフォーカスしてみましょう。わたしの一歩とあの人の一歩は違います。歩行速度も違います。向かう地点も、歩く目的も違います。もしかしたらわたしは歩きに来たのではなくて、休みに来たのかもしれません。

 

英語が前よりずっとわかるようになった。外国人の友達ができた。外国人しかいない職場で働いた。外国人のボスに褒められた。英語字幕もない映画を映画館で観た。毎週一冊英語の本を読む生活を数ヶ月続けられた。外国人とデートした。日本人以外とフラットシェアした。英語のみのヨガに参加した。オーブンが使えるようになって、お菓子作りが好きになった。早寝早起きが普通になった。

誰かにはベイビーステップでも、わたしにはこういう小さな一歩で、外国に来て新しいものやことや人に触れ、少しずつ自分が変わっていっているな、と実感します。

 

他人ではなく、過去の自分と比べる。それは昨日かもしれないし、一年前の自分かもしれない。もしかしたらNZじゃなくて、自分にがっかりしているんだと思うんです。でも仕事を辞めたり学校を休学して海外に行こう!ってビザ取って来た時点でまず過去の自分と比べるとすごいし、実際来てるし、来て生活もしてますよね。とりあえずもうその時点で日本にいた時の自分とは違います。何かでっかいことしてやる、と思ってたら、自分にがっかりしちゃうのもわかります。でも、例えば、毎日英語でコーヒー買ってる。それだけでもう過去の自分と違う、ということに、目を閉じて、きちんと実感してほしいなと思うのです。